間借りレリラblog

ぼちぼち書いたりするかも

日常にも翻訳機があればいいのに

 今年もやってきましたこの時期。名付けてブログ強化月間。期末テストや期末レポートに向けて文章を書く機会を増やすべく、ブログを積極的に書いていこうという月です。それっぽい文章の書き方を綺麗さっぱり忘れてるみたいで、さっそくぎこちない言葉しか出てこないけど、レポートの提出までには何とかましになっていて欲しい。

 

 

 

 突然だけど、みんな日本語って一つだと思ってるでしょ。方言の違いはあれど、日本語っていう共通のものがあって、外国に行けば外国語が話されていててんやわんやみたいな。いつから自分の日本語と相手の日本語が同じだと錯覚していた…?

 

 例えばギャルの話す言葉とオタクが話す言葉は違っていて、それぞれがギャルの話し方オタクの話し方しかできない場合、両者の会話はあまり通じないかもしれない。それは、どちらの立場が上だとか良い悪いとかそういう話ではなくて、客観的にはただ通じないという事実があるだけだ。

 この場合、ギャルは周囲のギャルから、オタクは周囲のオタクから…つまり、所属するコミュニティから言葉を学び、発信して言葉を自分のものとして定着させた過程がある。言葉はその環境によって育まれている訳で、その環境が違えば言葉も違う。

 

 日常で出会う人の中で、例えばコンビニに来たお客さんとかで、話が通じないなーと感じることがあるかもしれない。そんな場面があったとしよう。僕が思うに、その店員さんはそのお客さんに通じる言葉で喋れていない。

 人には人の育った環境があって、言ってしまえば、日本語という枠組みの中でも、人の数だけ言語があるのではないか、というのが僕の考えだ。相手の言葉で喋ることができる人のことをコミュ強と言うのかもしれないけど、人間全員が全員コミュ強にできている訳じゃない。そうこうしているうちに、どうにも話の通じない人が現れる…

 

 そんな時のために、翻訳機があればいいのにな、と思った。相手と自分の言葉の、微妙なニュアンスの違いやそれによって話が通じなくなっている部分を見つけて、言葉を変えて提示してくれる機械。あったら絶対便利なのになあ。

 

 

 

 因みに、僕の視点から見るとその話の通じない人というのは自分以外の全員だ。僕は高校時代まるまる引きこもりで、現実にもネットにも友達ができず、その状態が6年目に突入しようとしている。今では引きこもりは改善され、外に出られるようにはなったけど、店員さんや、学校で関わる人とまあ話が全然通じない。

 引きこもり時代に見たテレビや動画、漫画などのセリフや会話は、今の自分の喋りを構成してると思う。それは一方通行のインプットに過ぎず、環境と自分との相互関係で生まれる言葉とは違って、人に通じない言語になってしまったのではないだろうか。言わば、言語のガラパゴス化だ。(現実、僕が人と話していると本当に何言ってんの?みたいな顔をされる)

 

 

 

 どうすればいいんだーーー!!

 

終わり